29Jul
昨年から増えてきているらしい「こども食堂」の立ち上げ。しかし、月に数回しか食事提供の機会が無かったりして、どうも目的がはっきりしない活動に思っていました。元々は給食以外に食べる事ができていない(経済的理由で家で食べる事ができていない)子供の存在があった事から始まった事らしいですけれど、月に4回の開催であったとしても週に一度しか食べられないのにそれで意味があるのか?っと・・(月に1,2度だけのところもありました。金額は子供は無料~100円/300円程度、大人は300円/500円程度の負担)。現在食事を提供しているところは、実情では地域の交流の場的イメージが強くなっているところが多いらしいです。確かに、食べることができないと言える子供も少ないでしょうし・・ましてや親がそれを言ってくる事も少ないと予想します。子供達にお金が無い為に食べさせることができないならそれは不憫です。そんな子には食べさせてあげたいですよね、でも僅かだと思いますが、ネグレクトも含まれているのではないかと思う節もあったり。(親は食べているのに子供には食べさせない)その場合は虐待事案になるのでしょうけれど。
そして、記事やニュースなどで「こども食堂」の話を見る度に、本当にお腹を空かせた子供自身(本人)がその場所をどうやって知るのか?っといつも感じていました。ネットに公開しているとか、facebookに情報を出しているとか・・親が見なかったら?(ネットを使っていても、働いていてそんな時間が無いかもしれませんし、そもそもスマートフォンやその家庭がネットに繋がっている環境なのかどうかも疑問ですよね?)親は働いていて、子供達が自力でそんなチャンネルにどうアクセスできるのか?100歩譲ってネットを子供が使える環境だとしても、知らない個人やお店のフェイスブック等見るはずもないですし。だいたい”こども食堂”の存在すら聞いた事が無いかもしれません。そうであると検索もできない。せめて、活動する地域の小学校、中学校等と連携して、そんな場所があるよ~というお知らせの紙を渡してから始めたら良いのでは?と思ったりしています。さすがに義務教育の学校に通っていない子供はいないでしょうから。定期的に(半年に一度くらい)そんなお知らせを学校から配布してもらってお家に持って帰って親と見てくれていれば、最悪でも子供自身がそんな場所の存在を知っておけば、切羽詰まれば行動を起こすのではないかと思います。兄妹等がいたりして、食べられないという事があったとしても、兄妹の誰かが知っていれば、せめてひとりでも知っていたら食べる事ができるのです。食べなければ・・犯罪を犯す可能性も出てきますし、最悪は餓死してしまう事になるのです。給食が無い学校もありますから。子供達本人への周知が最優先だと思います。
ただ・・いつもこんな事を考えていると地域のお寺や神社、教会等にこういう事を担って欲しいと思うのは違うのでしょうかねぇ?税金も払わず・・坊主丸儲けなのに(それは大袈裟ですね・・スミマセン)とにかく、思想を教える方々が子供を守ってくれてもバチは当たらないと思うのですけれど。勿論、宗教団体さんがそれをして頂けたらどんどん国から補助金とか出してもらったらいいのです。店や個人宅に行くより、近くの〇〇寺、〇〇神社、〇〇教会・・へ行けば何か食べる事が出来る!っと日本全国の子供に教えられるんじゃないかと、それも永続的にそうしてしまえばいつの時代でも、せめて子供だけは救えそうな気がするのですが、でも、結局こういうことは民間になちゃうんですね。行政も全く頼りにならないようです。(板橋区と世田谷区のお寺さんでやっているところがありました。神奈川では教会でも行っているところ発見!)
ここからは大きく余談・・(^_^;)
かなり昔の話ですが、近所にあったお屋敷で子供に食事を食べさせていた家がありました。気の良いおじさんが自分の子供(中学生くらいの娘さんがいた)の友達を呼んでいるのかとおもいきや、年代がマチマチ。小学生もいれば高校生らしき子もいたり。子供たちは夕飯を食べに来て食べたら帰るという感じ。おじさんはそれなりに忙しく、居る時は子供らの話し相手になってくれていたようですが・・ま、常時酔っぱらっている感じだったので子供は退散していたようです(笑)
後日知ったおじさんの職業は・・”暴力団の組長さん”でした(;’∀’) 詳しい事は分かりませんが大きな組の方だったのか?港区の大きな家に古くからお住まいのようでした。『腹が減ったら食べに来い!』と伝えた子供たちに食事を提供していたそうです。勿論お金は取りません。出世払いは大歓迎w(口だけ)とにかく食べたいだけ食べさせていたそうです、それは数日という事ではなく、何年間も。(ご近所様談)どこでそんな子供たちを見つけるのか?それはその筋の色々な繋がり?があるのでしょうかねぇ?小さな子供が兄妹でそのお宅の門の前に立っている事もありました。知らない子供達が一緒になる事もあったと思います。一時は塾をやっているのでは?と思った事もあるくらいですから(苦笑)おじさんはただの子供好きだったのかなぁ?とにかく、反社会的と言われている職業の方ではありましたが、多くの空腹の子供を救ってきた事だけは間違いありません。日本の景気がそんなに悪くない時でさえ都会の歪の中に埋もれていた一部の貧困家庭が存在していて、それを救っていたのは事実。(おじさんの娘さんとの会話とご近所様の話の記憶から)
本題に戻って・・
現在の「こども食堂」は子供とその親と近所の住民を対象にしたような場所となっているらしく、それはそれで仕事で疲れた母親が会話やお手伝いをしつつ日常から離れ、息抜きが出来たり、多くの人と食事を囲んで会話ができたり、近所のシニア層などと繋がりができたりと良い点は多くあるようです。ただ、本来の目的からズレた部分を評価しても、食べられない子供の数はそのまま。(やっている方々がそれで良いならいいですけど)しかし、その中に本当に無料で食事をするべき子供が一体何人含まれているのか?把握する事も困難な事ですが・・。ただ、せっかくの志と思いやり、そして食材の調達や場所、人手の確保など苦労されている事が多くあるでしょうに。だからこそ、本来の目的もある程度は達成していて欲しいものです。人との繋がりが無い昨今はこんな場所が求められるのでしょう。できれば、必要としているところへ暖かい志が届くように・・と願います。
最後に、日本のこどもの6人に1人が貧困状態(貧困率16.3%)と報じられて4年程経っています。(2012年の厚生労働省の「子供相対的貧困率」の発表より)、実は親が母だけ、父だけのひとり親家庭の場合だけでみてみると、もっと厳しい数字になっています。(貧困率は54.3%)公的な文章の言葉は分かり辛い事が多いのですが、「相対的貧困」とは”周りの人は当たり前と思ってしている生活がお金がないためにできない事”を示すらしいです。洋服や持ち物だけならまだしも・・子供が朝食も夕食も自宅で食べる事ができない状態が相対的貧困では済まない気がするのですが・・。実情はもっと厳しいのではないかと思います。相対的貧困より状態が酷い”絶対的貧困”(食べるものも住む場所も無い状態)の数字が今上がりつつあるのではないか?それが、「こども食堂」が多く出て来た本当の理由なのかもしれません。小学校の1クラス(30人と想定)にひとり親の子がいない場合でも、5人前後は食べる事に困窮している子がいる可能性がある・・。ショックな数字です。
満足に食事が出来ていない子供は、洋服、体型、食事の食べ方(給食があれば)など細かな様子を見ると分かりそうな気がします。それを見抜ける大人が学校にいてくれると良いのにと思ったり・・。
なんだか話がまとまらなくなりました・・長々とすみません(-_-;)
それでは、また。
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